児山 英紀 | 建築事業本部 設計部 1992年入社 工学部 建築学科 |
若手が活躍する場は
当時も、今も、広大。
建築の仕事に就くのは、小学生時代からの夢でした。親友の兄が建築の勉強をしていて、書棚にはズラリと建築雑誌が並んでいる。机の上には書きかけの図面が広げられ、鉛筆や図面のにおいに憧れたのを覚えています。だから大学進学時も、迷わず建築学科へ。さまざまな建築物を学ぶうちに、ますます建築の世界に魅入られていく自分がいました。そして、就職活動が始まり、私は東洋建設を志望。当社を選んだ理由は、当時はまだ建築の歴史が浅い会社だったからです。その分、建築分野を成長させようという気概に満ちていて、広がる可能性と夢を感じたのです。また、設計担当は、プロジェクトの初期段階から、デザインだけではなく、機能性、施工性なども考慮し、総合的に優れた建築物を描いていくのですが、建築で長い歴史を持つゼネコンでは、部分的に関わることしかできない場合が多くあります。ですが、東洋建設ならば若い時期からトータルに責任ある仕事を任せてもらえる。設計担当として多くの経験を積み重ねていける。そんな環境にも魅力を感じました。今や東洋建設も何十年と建築の歴史を刻んできましたが、こうした風土は今も変わりません。
信頼関係が仕事の基礎。
熱意に、期待に、応えていく。
入社後1年半は、東京・新橋のオフィスビルの施工管理を担当しました。当時は、新人全員が現場を経験するのが通例だったためです。ビルを解体し、着工から竣工まで、建築の流れをトータルに目の当たりにできたのは貴重な経験となりました。その時に得た経験や知識が今の私の仕事に活きており、設計部門に異動してから、意匠設計の際には、施工性やメンテナンス性までも目配りするようにしています。お客様にも鍛えられましたね。非常にハイレベルの要求をされるお客様がいらっしゃり、妥協を許さず「一緒にいいものを」という熱意に溢れていました。設計変更も珍しくありませんでしたが、私を設計者として評価・信頼してくださっていたので、期待に応えようと必死でした。その甲斐あって素晴らしい物件を完成させることができました。このお客様は、現在も新規物件がある際は、声をかけていただいております。お客様との信頼関係こそ、仕事の大きな基礎になることを学びました。
「最適解」を導くことで
次の仕事の原動力を得られる。
現在は、コンペを勝ち抜いたオフィスビルの設計を進めているところです。建築設計では私のような意匠設計担当が責任者となり、構造設計、設備設計などの担当者と連携して設計の完成度を高めていきます。お客様にはそれぞれニーズや嗜好の違いがあります。それらを実現するために、物件ごとに異なる敷地条件、法規制に沿って「最適解」を導き出すのが、私たち設計担当のミッションです。ただ、お客様ニーズは、明確な言葉で表わされるものでもありません。表層的な言葉に従うのではなく、その真意は何か。真の要望を引きだした上で、設計や仕様の変更など、一歩踏み込んだ提案を行っていきます。そこが最大のポイントです。入念な打ち合わせを繰り返すなど、ていねいにプロセスを踏んでこそ、お客様は心から満足され、感謝の言葉となって努力が実っていく。感謝の言葉を聞いた時ほど嬉しいことはなく、次の仕事への原動力になっていきます。
ある一日の流れ
7:30 | 出社 メールチェック 一日の予定確認 | |
8:30 | 朝礼 | |
9:00 | 社内ミーティング | |
10:00 | 設計図書・打合せ資料の作成 | |
12:00 | 昼食 | |
13:00 | 施主との打合せ | |
16:00 | 翌日の打合せ資料の作成 | |
20:00 | 帰宅 | |
主な経歴・担当案件
1992年 | 入社 建築事業本部 直轄工事部 施工管理/虎ノ門ウイングビル・第8高橋ビルを担当 |
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1993年 | 建築事業本部 建築設計部 | |
1995年 | 大阪本店 建築設計部 | |
2000年 | 建築事業本部 建築設計部 | |
2001年 | 大阪本店 建築設計部 係長 | |
2004年 | 西日本事業部 建築部 設計課 係長 | |
2006年 | 工事本部 建築設計部 課長代理 | |
2010年 | 建築事業本部 設計部 課長 (大阪駐在) | |
2015年 | 建築事業本部 設計部 課長 | |
OFF TIME
妻と子どもの3人家族。家族とゆっくり過ごせるのは休日ぐらいとあって、休みの日は近所の公園で子どもと思いっきり遊ぶ。それが最高のリフレッシュになるという。一家で子どもが喜びそうなプレイスポットに出かけた時、「子どもの成長を見て、目を細めている」と笑う。ドライブがてら、ちょっと足をのばして、妻とショッピングを楽しむこともある。