東洋建設

社員インタビュー
建築/営業担当
丸本 善朗 建築事業部 技術営業部 課長
1995年入社 法経学部 経済学科

海に囲まれた日本を守る、
その姿に憧れを抱く。

学生時代、接客のアルバイトをしていたので、漠然とサービス業に就職しようと考えていました。ただ、当時は就職氷河期といわれた時代。生半可な思いではどの企業も門前払いに近い状況でした。しっかりとした仕事観を持っていないと希望通りの就職ができないのは今も変わらないでしょうが、当時は非常に厳しかったです。そこで「自分は何がしたいのか」、気持ちをリセットして、自問を続けながら企業情報の収集に走りました。その時知ったのが「マリコン」です。海に囲まれた日本と日本に住む人々を守る、海水を浄化するなどして環境づくりに貢献する、そんな姿に憧憬を抱きました。文系ですから直接モノづくりに携わることはできない。しかし、その技術をカタチにして、社会に届ける「橋渡し役」ができる仕事もある。そう考え、私は東洋建設を志望しました。ビジネスの大きさから活躍の場が広く、後世にまで足跡を残すことができ、誇りを持って仕事ができると考えたからです。

人々が住まう姿を見て
無我夢中の自分を思い出す。

入社して約10年間は、不動産畑を歩みました。入社した頃は、東洋建設が建築分野に進出してから20年ほどが経った時期。さらに事業を拡大していくため、住宅分野にも本格展開していたのです。海ではなかったものの、それでも会社が注力する事業の拡大に貢献でき、自分の足跡を残す仕事ができたことは、私の財産になっています。特に経験の浅い20代の頃に、福島県・いわきに造成した120区画の住宅団地を、販売担当として60区画を売り切ったことは大きな自信になりました。今でも、近所を通り人々が住まう姿を見るたびに、無我夢中のままに営業に奔走した当時を思い返し、あの"ひたむきさ"を忘れてはいけないと自分に言い聞かせています。現在は、建築営業として、主に関東圏での倉庫など物流施設を担当しています。お客様は物流企業・倉庫業社が中心で、近年の物流量増加により施設を建設する適地を求めています。実は不動産畑の経験が、現在の仕事で非常に役立っています。

数々のハードルをクリアし
お客様に最適なご提案を。

求められた建設適地の条件は、需要の多い都心部などへ好アクセスであること、良質な労働力が確保できることなどいくつかあり、目下ホットエリアとなっているのが、圏央道の周辺エリア。ただ市街地調整区域となっているため、施設建設には、そのハードルを越えるための不動産ノウハウが欠かせないのです。しかも土地面積は5,000坪から10,000坪程度が必要だったので、適地を探すのは簡単ではありません。そこで、これまで培った人脈などを駆使するとともに、数々のハードルを越える仕組みづくりや、地主の方にもメリットのある提案を行えるかどうかが、営業としての腕の見せ所。これらをクリアした上で、お客様と設計陣の橋渡し役に徹し、最適提案、受注に持っていきます。競争が激しく一筋縄ではいきませんが、それだけに受注に成功した時の達成感は何度経験してもたまりません。今後は培ったノウハウを後輩に伝え、一緒により大きな仕事を成功させていきたいと考えています。

ある一日の流れ

8:00 出社
9:00 部内ミーティング
10:00 池袋で顧客と打合せ
12:00 昼食
13:00 門前仲町で工事打合せ
15:00 平和島で工事打合せ
16:30 事務整理・顧客提案資料作成
19:00 退社

主な経歴・担当案件

1995年 入社
東北支店/総務担当
宮城営業所/総務担当
いわき事務所/総務・不動産担当
青森営業所/総務担当
2002年 本社不動産部/工業団地販売を担当
2004年 竹橋地所に出向
2006年 とうけん不動産に出向
2008年 名古屋支店 建築営業部/健診センター・食品工場を担当
2013年 東北支店 建築営業部/物流倉庫・事務所を担当
2015年 建築事業本部 技術営業部/物流案件を担当

OFF TIME

妻と娘2人の4人家族。夏には一家揃って泊りがけのキャンプに出かける。昨年は富士五湖の一つ、山梨県の本栖湖へ。前の晩にバーベキュー、花火を楽しんだ後、翌日早朝はボートで本栖湖へ。「富士山を背景に朝もやの中に昇る朝日を眺めながら、湖上で淹れたコーヒーは格別だった」と笑う。至福のひとときを過ごすことがリフレッシュになっている。

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